2017.10.22 ブログ

拝啓 皆さまへ。

拝啓 皆さまへ

 

 
今年30歳になった私HASSY、大学を卒業してからバイトと掛け持ちでインストラクターの仕事を始め、
気づけばもう8年のキャリアになりました。

 

 

 

8年もの間、たくさんの人と出会えるこの仕事を続けることができ、ただ仕事をもらうのではなく自分で自分の好きなことを仕事にし、誰かに指図されるわけではない自分の本当の価値と力、みたいなものを大事にしながらここまで来れたのは、
普段たくさんの方々に支えてもらってるからなんだろうなと実感しています。

 

 

 
昨日の晩はハシゼミでした。
9月の台風の事情で延期したり追加メンバーを入れたりで昨日すべてを終えたわけなんですが(結局今日も台風やけど)、

 

 

今回も自分を変えたいという強い意志を持った方々が集まってくれました。
(本当は9人だったんだけど、数名体調不良とかお仕事とかで来れなかったのは残念⤵︎また次回に!)

 
今回は色々と感じることがありました。

 
まず一つは、ゼミ終わりに生徒から
『自分は本当に変われたのでしょうか?』
という質問に対して僕が思った通りに伝えたこと。

 

 

『今この瞬間、目に見える成長を感じさせることは逆に簡単。だって、10時間以上あったわけだから、

 
「そこが違う、もっとこう。違う、もっとこう。」

 
と厳しく言い続ければ必ず変わるし、カッコよく踊れる。

 
でも大事なのは、今日が終わって、また新しい壁にぶつかったときに乗り越える力があるかどうか。
その力がなければ何度も同じ繰り返し。

 

大事なのは今この瞬間、変化が見えることより、
これから成長し続けるために必要なものが見つかるかどうか。だから今変わっていることじゃなく、明日からを変えることができたかどうか。
明日から頑張れたのならやって良かったと思うし、頑張れなかったのなら僕は反省しなくちゃいけない。』

 
ということだった。

 

 

 

これはある意味、整体とかによくある話で
身体をバキバキっとやれば背筋が変わったり体のバランスが綺麗になる。

 

 

で、『すごい効果でしょ?』なんて言う。

 

 

その時だけ効果を見せることはとても簡単なことで、

 

 

大事なのは明日からそのまま維持できるかどうか。
『根元から改善』されているかどうか。

 

 

その時だけ痛みが引いたのに次の日には痛かったら意味がない。
むしろその時は痛みが消えてなくても、徐々に痛みが取れていき、もう痛めることがなくなるのが理想なのと同じ。

 

 

 

僕は自分がすごい人だと見せつけたいわけでもなく、
その人が良い方向に変わっていくこと、そこに強い想いがある。

 

 

 

 

ありがたいことに、昔から
『HASSYさんのおかげで』というような話をしてもらえることがある。

 

 

学校に行くのが嫌だったけど、
HASSYさんのダンスを見て、習って、毎日が楽しくなって学校に行けるようになった、

 
精神的な悩みを乗り越えた、

 
毎日が楽しくなった、

 

 

 

などなど。

 

 

 

昨日のゼミでも、
ダンスをずっとやってたけど楽しくなくなって、しばらくやってなかったときにHASSYさんのダンスを見て、習い始めて、今、これまでの中で一番ダンスが楽しい!
ととびっきりの笑顔で話してくれた子がいた。

 

 

普段大人しくてあまり話さない子だっただけに、
その嬉しそうにいつもの何倍も話す姿とか、完全に背負ってた何かを投げ捨てて無邪気に踊っている姿を見て、大きな変化を生みだせたな、と感じた夜だった。

 

 

 

 

 

 

僕はいつも、『人』が中心にあった。

 
ダンスはやってるけど、実は僕はダンスにはあまり興味がない。

 
正直、胸のコントロールが!とか、その首のエグさが!とか言ってるのはダンサーだけで、

 
ほとんどの人が『ダンス』そのものは見ていないと思う。

 

 
見てるのはいつだって、
踊っている『人』だと。

 
歌は音声だけでも楽しめる。

 
でもダンスはシルエットだけでは楽しめない。

 

 

どんな人で、どんな表情で、そんな『人』の魅力と共に発信するものだと思っている。

 

 

だからこそ、『人』を成長させることがダンスの成長には大きな意味があると。

 

 

 
先日、音楽系の仕事でお世話になってる方とご飯食べたときに、
『HASSYくんって、作品つくるとき命削ってるよね』
と言われた。

 

 

 

すごい見てるなぁーと思ったと同時に、
二つの意味を頭で理解していた。

 

 

まずはシンプルに熱いよねってこと。

 
そしてもう一つは
『プロとしては失格だよね』
ってこと。

 
一つの作品にわざわざ命削ってたら、
他の仕事にも負担になるし、どこかで抜く、ということはプロとしては必要なこと。

 
ましてやそのスケールによっては返ってくるものも少なかったりするわけで、自分の労力をどこにどれだけ注ぐかはしっかりコントロールするこがプロだと思う。

 
そういう意味では僕はプロにはなりきれない。

 

 

そこまで『仕事』を最優先にできない。

 
これは価値観の違いだから、何が正しいという話ではなく、

 
僕は『自分』という『人』としての想いも大事にしたいし、

 
ステージに立つその『人』達に感じてほしいこと、

 
そこが自分を動かす原動力にあるから。

 

 
もちろん全てが命削るような作品ではないが、
楽しんでほしいこと、遊んでほしいこと、自分達で何かを考えること、何らかの意味を持ってそこに全力を注ぐ。人を扱うのならそういう場所を必ずつくっていたいと思う。
そんな話をご飯を食べながらしていたわけだが、
その方が続いてこう言った。

 
『こういう熱い想いを伝えることで、その後の人生が大きく変わった!って言ってくれる子、3年に1人ぐらいいるよね』

 

 

だ。

 
こういう職業に関連の無い人は戸惑うかもしれないが、

 

 

これは恐ろしいぐらい正論で、真実。

 

 

こっちが命削ってやったって、
3年に1人ぐらいにしか影響はないのだ。

 

 

その結果がとても苦しい時期もあった。

 

 

無駄なのか、

 

 

ただのエゴなのか。

 
だから馬鹿みたいに命削ってまでやるのはやめよう、と思った。

 
でも、、、一周したのかな?

 

 

今は『結果』じゃない、と思ってる。

 
作品を見てくれた人に対する結果はずっと大事にしなくちゃと思ってる。

 
でも、ステージに立つ人達には、
たとえ望んだ『結果』は出なかったとしても
僕は伝え続けたいと思った。

 
そもそもステージに立つ人達はそんなことを求めてない、ってことももちろんあるんだけど、

 
じゃあコンビニにお茶買いに行ったのに
結局プリンまで買ってんのは何故?

 
面白い映画を観に行ったハズが、
思ってた以上に感動して考えさせられたことは?

 
求めてなかったことも、
手に入れば嬉しいことがある、変わることがある。

 
必要なければ捨てればいい、

 

 

 

でもまだ気づいてないだけで、後で気づく人もいる。

 
親のありがたみみたいな?

 

 

 

家を出て始めて気づくことがある。

 
家にいてるときはどうせわからないから、と愛を注がない親にはなりたくない。

 

 

 

 

きっと僕が生きている感覚の中心には
いつも『人』がいる。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、一つ言おう。

 

 
僕は『人』が嫌いだ。

 

 

 

 

 

できることなら誰とも話したくない。
自分の好きな人とならいいが、
それ以外の人とは会いたくない。

 

 

 

 

でも気づいた。

 

 

 

 

 

僕が『人』が嫌いなのは、

 

 

『人を好きすぎる』からなんだろうなと。

 

 
人を好きすぎるから、
人の気持ちを粗末に扱う人が嫌いだ。
人を好きすぎるから、
人の気持ちを理解しようとしない人が嫌いだ。

 
人を好きすぎるから、
人をコマのように扱う人が嫌いだ。
人を自分の利益のために扱う人が嫌いだ。
人を勝手に決めつける人が嫌いだ。
人を自分の満足感のエサにする人が嫌いだ。
人を自分を守るために利用する人が嫌いだ。
人の意志を尊重しない人が嫌いだ。

 

 

 
そんなことをして最終的に損するのはあなたなのに。
だから地獄に落ちればいいと思う。

 
でもできれば落ちないでほしいと思う。

 
人が好きだから。

 

 

 

 

 

 

 
拝啓、皆さまへ。

 

 
僕が今ここまで来れたのは、間違いなく皆さまのおかげです。
僕が誰かにとって、わずかでも小さな支えになれたのであれば、小さなエネルギーにでもなれたのであれば、僕は僕として生きてきて良かったと思える。
このブログで何が伝えたかったって、

 
感謝してます。
自分のいらないモノを削って捨てて、

 

 

それでも今僕の近くにいてくれてる人は、

 

 

本当に好きな人達なんだと思う。

 

 

詳しくなんて知らない人達ばっかりだけど、
そんなの重要じゃない。

 

 
だって、知らないのに好きだと思えるから。

 

 

 

知ったら嫌いになるかも?

 

 

 

 

じゃあそんな自分を変えていこう。
成長していこう。

 

 

 

 

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