2018.12.31 ブログ

愛が生む衝動

人の性格や性質は、母親から受けた愛情の量や性質によって、そのほとんどが決まる
とあることをキッカケに知ったこの言葉の真意を知りたくて、
ここ数日間数えきれないほど多くの本を読みました。
母親が子供に及ぼす影響は、そりゃもちろんあるだろう、とは思うものの、
まさかここまで影響があるとは、
とあまりにも衝撃を受けた内容だったので、
僕が本から学んだ知識ではありますが
ここに残しておきたいと思います。
長文になりますが、
しばしお付き合いください。
母親の愛情』とは、
言い換えれば《安心感》にあたるらしい。
小さい頃からしっかりと抱きしめてもらい育つと、
子供の心には『自分は守られている』という安心感が
心の奥底にしっかりと確立されていく。
この《安心感》は言い換えれば【】のようなもので、
自分には【帰る家】があるという安心感があるからこそ、知らない場所へも思い切って行くことができる。
もし知らない場所で何か問題があったとしても、
自分には【】があるし、困ったときは帰ればいい。
この《安心感》のおかげで子供は何かにチャレンジしたり、自分に自信を持って行動できると。
しかし、『母親から愛されなかった』子供は
安心感》を持てない。心に【】を持つことができず、自分の居場所を探し求め『常に不安』がつきまとう。
この【】を持たない《不安》は、
知らない場所に行きたくても、何かあったら終わり、どうしたらいいのかわからなくなる、という自信の無さとなり、消極的で、常に誰かに助けを求め、周りの人の顔色を伺う子に育つのというのだ。
母親からの愛情を大きく分けると、
数パターンに分類される。
1つ目は、
愛されている》パターン。
これは先程あげたように、
愛されている安心感から自分に自信を持って、何事にもチャレンジできるような、自立した考えを持つ大人に育つ。
しかし、欧米などと比較すると納得がいくと思うが、
日本では海外のように挨拶としてハグをしたり、キスをしたり、日常的に『愛してる』という言葉を聞く機会が少ない。
この『愛されている』と感じる経験が他国より少ないことが、日本人は自己肯定感が低い要因であり、愛情によって人の性格や性質が決まるという話にも納得ができる。
海外に比べると『愛され』具合が弱いが
愛されていることには間違いない。
これが愛されているパターンだ。
問題はここからである。
2つ目は、
愛されなかった》と感じるパターン。
これも先程あげたように、
愛されなかった》という心の穴は《不安》となり
心の家】を持てないことで、冒険ができない。
】で安心したい、という思いが強くあるからこそ、【家に泊めさせてくれる誰か】を求める。
それはつまり他人の顔色を伺い、他人の言うことを断れないなどに繋がる。
この《不安感》が生む問題は、自信の無さだけではなく、【精神疾患】に繋がってしまうのだという。
うつ病】などを始めとする、様々な心の病だ。
愛されなかった》と感じる量は人それぞれなので、《不安》を感じる量も違ってくるし、心の病としてのしかかる重みも種類も変わってくる。
この問題がつきまとうパターンはまだある。
3つ目は《過保護》のパターンだ。
過保護》という言葉はどちらかという『愛されている』印象が強いが、『愛情のバランスの悪さ』はこれもまた問題を生むらしい。
何故なら、『守られすぎた子供』は【心の家】から外に出れない。常に監視されることで、自分が自由に行動できず、『自分の力で何かを成し遂げだ』という自信が身につかない。
これもまた不安へと繋がる要因であり、
いち個人として自分は何ができるのか、と自信の無い、《不安》を常に抱えた大人になってしまう。
しかし《過保護》には逆の要素もある。
親から離れたい、と思う心理だ。
『常に守られている』という過保護ではなく、
常に制限されている』と感じる過保護の状態で育った子は、人との接触を嫌う傾向があるという。
人を信じることができない、
他人と長く過ごすとストレスが溜まる、
それはつまり社会に適応できない大人に当てはまるという。
以上はあくまで大きく分類したパターンであり、
これが複雑に絡み合うこともあれば、
母親だけでなく、友人や恋人、周りの誰かとこういった関係性を持つこともある
自分が信頼している誰かとの愛情が、個人の性格や性質を作っているということだ。
すでに長文だが、今回は全てまとめて書いておきたいので、一度休憩をはさんでもいいから、まだ読み続けてほしい。
大事な話はここからだから。
この母親からの愛情パターンが及ぼす影響を、
私、HASSYに当てはめて話していく。
本当にそこまで影響があるものなのか、
僕の実体験を元に説明していく。
僕の母親はどちらかというと厳しい母親で、
僕は行動を制限されることが多かったように思う。
特に習い事をさせられることはなく、ダンスをしたり、好きなことをさせてもらえる、という自由は多かったが、
日々の行動の中においては、『じっとしなさい!』や『◯◯時に帰ってきなさい!』『これしなさい!あれしなさい!』というのは非常に多かったと思う。
だからだと思うが、
一人暮らしがずっとしたかった。
よく、一人暮らしをして初めて親のありがたみがわかる、というが、
僕はそういう感情を一度も抱いたことがない
初めて一人で寝た夜から、今日の今日まで、
一人暮らし最高〜!』だ。笑
これは先程のパターンでいうと、
あくまで僕の場合は、だが、
制限される過保護》のパターンにあたる。
人との接触を嫌い、一人になりたがる
しかし僕の場合はもう一つ絡まっている。
それは《愛されなかった》要素を含んでいることだ。
可愛がられた《過保護》ではなく、制限されていた時期が長い分、《愛されている》と感じた経験も、正直記憶にない
家族で何か遊びに出かけた記憶もないし、
甘えさせてもらった記憶もない。
逆に反抗期もなかった。
これは穏やかに育ったからだと思っていたが、
もしかしたら制限されて育ったことによる、
『母親に逆らわない事が当たり前』という服従関係だったのかもしれない。
だからなのか、母親とは喧嘩をしたこともない。
母親に対して暴言を吐いたこともない。
一度だけあるのが、僕の英語の成績は校内1位を取るほど優秀だったのに、それは全く褒めてもらえず、他の教科の悪い成績だけを強く叱られ、『褒めてももらえんのにやってられるか!』と叫んだことだ。
これが人生で唯一母親に歯向かった瞬間かもしれない。
この自分の言葉からわかるように、
僕もどこかで《愛されたかった》のだろう。
離れたい、とは思っていたが僕の心には大きな穴もあったようだ。
親から離れたい。でも本当は愛されたい。
これが僕が母親から受けた愛情によって形成された個性なのだ。
僕と長年付き合いのある人ならとてつもなく理解できるだろう。
無駄な人付き合いを嫌う性格と、
一人に対する愛情の注ぎ方、求め方だ。
赤裸々に話すが、
僕は誰でもかれでも仲良く、という性格ではない。
あまり興味がない。面倒くさい。
だが、恋人に関しては全く別で、
ずっとそばにいたいと思う。
束縛も嫌いじゃない。むしろ少し嬉しいぐらいだ。
一日中連絡を取り合ってても全く苦じゃない。
ベタベタしてなんぼ。
こんな自由なダンス人生を送っているからか、
よく『放置してくれる彼女じゃないと無理そう』
と言われるが、全く逆だ。
基本は他人との接触を好まないが、
本当は愛されたいと思っている。
だから、自分が愛した人に対しては
自分もとことん愛されたいと思ってしまう。
自分が愛するのはこの人だ、と思うと
自分の心の穴を埋める役を全て任せてしまう。
それほどまでに大きな存在との関係を信頼できない人達に邪魔されたくないと思う分、
恋愛事情は秘密主義へと繋がる。
今まではこれが『自分の性格』ぐらいとしか思っていなかったが、
母親からの愛情が生んだ結果そのものだろう。
自分の個性》だと思っていたものが、
実は《母親の影響》だと知る衝撃を
是非皆さんにも味わってもらいたい。
自分の強さは、自分の強さではないのだ。
《そして自分の弱さも、自分の責任ではないのだ。》
これはなかなか衝撃の事実である。
この、人との接触を嫌ってはいるが、
本当は愛されたいHASSYはとある問題を抱えた。
そう、【精神疾患】だ。
不安性障害】【うつ病】だ。
これも納得がいく。
愛されなかった》という《不安》が自信の無さとなり、でも親から離れたかった僕は、親に頼りたいなど思うこともなく、いつも一人で不安だった。他人を信用できず、でもいつも人の顔色を伺っていた
このストレスがあまりにも長く自身にのしかかり、精神的に病んでしまったのだろうと思う。
しかし、この病を数年前に僕は克服した
今となっては不安など無いし、人の顔色を伺うこともない。
様々なトレーニングや努力をしたからだ。
しかし、ここにも愛情が関係した、ちゃんとした理論があったのだ。
ここからが今回のブログで一番重要な点だ。
おまたせしました。
やっとです。
この、親からの愛情の少なさ、バランスの悪さが生んだ
精神的な問題
つまり、
【ネガティブ】や【不安】【自信がない】【消極的】などの問題は、
ずっと引きずってしまう
変えられない性格】なのか、というと、
僕が克服したように
必ず変えられる》ということ。
そしてその克服方法もちゃんとある。
その方法を今からお教えする。
まず1つは、《出会い》だ。
最初に書いたとおり、『母親』の影響は大きいが、
母親以外の誰かとの関係性も性格に影響はある
つまり、母親からは愛情を受けなかったが、
それ以外の人との愛情関係を築くことで、心の中にあった大きな穴を埋め、しっかりとした【心の家】を築くことができるという。
イメージしやすいのが、
不良学生にとっての熱血教師》だ。
親に愛されなかった子は非行に走りやすい。
しかし、教師との間に信頼関係が生まれ、教師の愛に気付くと、人は変わる
こういった《出会い》人を救うことは多々あるという。
しかし難しいのは、
母親の愛情レベルに匹敵する愛情
が必要ということだ。
親はいつも子供を気にかけている。
温かく見守りながら、少し危険が迫れば助け、微妙な表情の変化や行動に気を配らせる
言葉にしない変化に気付いてやれるかどうか
言葉にしない事に気付いてくれるからこそ、
何でも話そうと思う。その信頼関係は大きい
しかし、
親の代わりになる人間は
細かいことに気づいてやれる、感性豊かな人じゃないと務まらない。
いつも気にかけてくれるマメな人にしか務まらない。
大事な克服方法であるが、
そんな人との《出会い》は
もしかすると奇跡レベルなのかもしれない。
僕の場合はどうだろうか。
そんな人がいるはずもない。
何故なら人との接触を拒んできたからだ。
じゃあどうやって克服したか。
この2つ目の克服方法だ。
ここが今回最も重要な話になる。
2つ目の克服方法は、
自分が自分の親になる
という方法だ。
誰かじゃ自分の心の穴は埋めれない。
だから自分で埋める。
という方法だ。
誰かに【心の家】になってもらおうとせず、
自分で自分の家を建てる
究極の【心の一人暮らし】だ。
世の中には、親からの愛情を注がれないまま育った大人が山ほどいる。
しかし、全ての人がネガティブな人生に終わったか、というとそうではない
逆に、この愛情が足りていない人生を武器に生きている人達がいるという。
それが
新しいものを創造する分野
に携わる人達らしい。
芸術関係などがわかりやすいだろう。
音楽や絵、小説や映画、ダンスもその一つだろう。
こういったものは、元々あるものを真似ていても成功できない。新しいものを創造する力が必要となる。
その感覚は、
今あるものに対しての不満や不安
が大きな原動力になるという。
つまり、親に愛されて育った人間は
心の家】があり、心の奥に《安心感》がある。
それはつまり、
現状を変える必要性を感じない
ということでもあるのだ。
だが逆に【心の家】がなく、生きることに《不安》を感じている人間は、心の奥底で
今を変える必要性を感じている
のである。
新しいものを創る》ということは
今あるものを壊す》ということであり、
今あるものを壊す必要性が無い》人間に、
《新しいものを創る力》など備わらないのだ。
なんと、
過去に活躍してきたほとんどの芸術家には
《親に愛されなかった》という過去があり、
親に愛されて育った者が優れた芸術家になった、
という事例は今のところほとんど無いのだという。
こういった【心に穴を抱えた人達】は、
その不安や不満、孤独や寂しさととことん向き合い、何か形にしようと、自分と徹底的に向き合う
その中で自分に疑問を持ち、
自分をコントロールしようとする。
落ち込んだときは、自分で自分に優しく声をかけ
調子に乗ったときは、自分で自分を強く叱り
自分を信じ、出来ないかも、と思ったとしても
チャレンジすることを自分で応援する。
不安を感じたとしても、自分の中で処理し乗り越えていく。自力で不安や恐怖に立ち向かう。
その心理状態を確立することによって、
本来、親に埋めてもらえるハズだった、
心の中にある大きな穴を、見事に自分で埋めれるというわけだ。
これが
自分が自分の親になる
ということだ。
こうすることで、母親からの愛情の有無によって形成されていたそれまでの自分の個性というものを、自分が自分の親になることで、
自分が思うように変化させることができるという。
この現象を《自己超越》と呼ぶらしい。
今の自分と徹底的に向き合い、
母親からの愛情によって造られた自分を越えていく。
わかりやすい話が、いつも僕がいう
自分と向き合う》ということだ。
この内容を知ったとき、間違いないと確信した。
まぎれもなく、僕が経験してきたことだからだ。
僕は間違いなく、この《自己超越》を成し遂げた。
自分が自分の親になり、
全てを自分で埋めることができるようになった。
そうすることで【精神疾患】【うつ病】を克服したのだ。
親と築いた《安心感》などない。
だが、《自分自身と結んだ信頼関係》は
そこらへんの親子関係よりも遥かに強いと感じる。
僕の中には、親が子に与えるほどの愛情が、自分自身との間に生まれているのだ。
よく、母親になると人が変わる、という話は聞くが、これもこの内容に沿って説明ができる。
人の中には誰にでも《人を愛する力》はあるはずだ。
だが《自己超越》を果たす者のように、人を愛する力をフルパワーで使うことが、子供に向けて以外では人生の中であまり無いのだと思う。
友人や恋人を愛することはあるだろうが、
まるで親のような思いで向き合うことがあるだろうか?きっと無いだろう。
だが、親になって、初めて自分の中の愛をフルパワーで使い始める。
フルパワーで使えばもちろん今までの自分の感覚から変化が生まれる。これが母親になると人が変わる要因であるように思う。
そこで一つの仮説が浮かんだ。
僕の中には母親が子に注ぐほどの愛情が、自分自身に向いていることになる。
それはつまり、僕にとって
人を愛するということ》は、
相手が誰であれ、親が子を愛するほど大きく強いものであることだ、と当たり前になっている。
別に自分の事を良く言うつもりはないが、
講師としての自分の生徒への向き合い方も、
その影響は受けているのだと思う。
まるで親のように、
子供の判断を見守り、何かあれば駆けつける。
だが何かを強制もしない。
このスタンスは、自己超越した自分の中にある愛情から生まれたものなのかもしれない。
そして、昔から気にはなっていたのだが、
僕の生徒には《自信がない》《ネガティブ》だが《個性的》、といった生徒も多いような気がする。
これまで話した理論でいくと、
そういったネガティブな生徒は親からの愛情に何らかの問題がある可能性がある。
つまり、親から受けるハズだった愛情を誰かに求めているのだ。
そして、僕の中にある愛情はまるで親のような強さがあり、
その愛情を当たり前として生徒達へも注いでいる。
そう、つまりは単純にダンスの好みうんぬんだけではなく、
親からの愛情のような強さを求める人達にとって、
親からの愛情のような強さを与える僕の存在は
どこか安心感があり、引き寄せられる存在なのかもしれない。
それはときには、一つ目の克服方法にあたる
信頼関係を築ける、感受性の高い人との出会い
にあたるのかもしれないのだ。
あまりガツガツした生徒が少ないのも、
親に愛されて自信を身につけている生徒にとっては、
親からの愛情は十分足りていて、
先生からの愛など必要としていないからかもしれない。
あくまで仮説だが、あまりにも自分の現状と環境に当てはまりすぎて、驚愕させられた。
最後に、この《自己超越》に関して話しておきたい。
日本では愛され育った人だとしても
自信が無い人が多い、と書いたが、
何故その自信が無い人達でも幸せに生きていけるか、というと、単純な話、
自信が無くても幸せになれる、用意された社会
があるからだ。
自信がなくてもいい。
大学に進学すれば。
自信がなくてもいい。
就職すれば。
自信がなくてもいい。
結婚すれば。
こういった用意された社会だから、
日本人は自信が無いが皆幸せそうに生きてられる。
だがどうだろう。
もし、その幸せが全く用意されず、
自分の幸せは自分で作りましょう
という社会だった場合。
あの人は大学に行って充実してそうだから自分も!
あの人は就職して立派そうだから自分も!
あの人は結婚して幸せそうだから自分も!
という発想は完全なる笑われ者なのである。
別に今の日本の社会を批判したいわけではない。
そういった社会の中で掴んだ幸せを馬鹿にする気もない。
だが、大人としての『本当の意味の自立』とは何なのかを考えてほしい。
一人暮らしをすることが自立なのだろうか?
自分らしさもわかっていないのに?
自分の力だけで生活費を稼げることが自立なのか?
やれと言われたことをしてるだけなのに?
本当の意味の自立』とは
社会に適応することではなく、
まるでアフリカの草原で生きる猛獣達のような、
何かや誰かに頼らず、
自分で餌を狩り、自分で寝どころを探し、
自分で自分の命を生きることなのだと僕は思う。
その自立した人生の中で、自立した人達と出会い、
人それぞれの違い、個性を理解してやりながら何かを共有したり、支え合うことが『人間関係』というものだと思う。
自分が自立しておらず、誰かに頼ってしか生きていけない人が築く人間関係は、個性を無視した、頼りを元にした、ただの服従関係になってしまうからだ。
欧米のビジネスマン達は上下関係が薄く、皆フラットなのも納得がいく。皆が本当の意味で自立しているからだ。日本で上下関係が厳しいのは、頼って生きることが当たり前とされているからだ。
自分の力で自分の人生を歩んでいけるからこそ、
本当の意味で自分に自信が持て、自分を認め、さらには他人を認めることができると。
他人を認めることができるからこそ、
他人とは違う自分らしさも見つけることができる。
それがいかに幸せなことか。と思うのだ。
それは、愛され、安心感の中に生きる人も、
愛されず、不安感の中に生きる人も、
全ての人に言えることであり、
最終的には《自分と向き合う》ということに落ち着くのだが、
この《自分が自分の親になる》感覚で自分をしっかりと見守り、支え、ときには厳しく、ときには許し、
《自己超越》していくことが自分の人生を豊かにしていく大事な手段だと僕は思う。
それが難しいと思うなら、
まずは素直に正直に人を愛することだ。
どんな壁があろうと、どれだけ自信がなかろうと
人を愛することに全力を尽くすことで
未だ出したことのない自分のエネルギーを知る。
愛されることばかり求めないで、与える側の感覚を知る。
そのエネルギーが自分を変えてくれる。
妥協した愛で人生は変えられない。
自分勝手な欲求は愛とは呼ばない。
自分は必ず変えられる。
親に愛され、
今を変える必要がないと思っていたとしても、
本当に今のままでいいのか再確認してほしい。
愛されず、不安感を抱き
変える必要性は理解しているが
自信が無くなかなか動き出せない人も、
今を再確認してほしい。
自分は自分のために、
何をしているのか。
何をしてきたのか。
何をしてこなかったのか。
小さい頃からつくられてきた
自分
というものを変える、または捨てるということは
とても大変なことで苦しく、難しいことだと思う。
しかし、それが《本当の自分じゃない》としたら?
親が違えば今頃あなたはそんなことをしていないかもしれない。
親の愛情が少し違っていれば、
今頃、今よりもとてつもなく幸せだったのかもしれない。
そんな自分で選んだわけじゃない人生で
一喜一憂することがどれだけ虚しいことか。
これは親が悪いと言っているのではない。
それは誤解しないでほしい。
親のおかげで今があるのは間違いない。
もちろん僕も親には感謝している。
しかし、
親の愛が子供の心に及ぼす衝動はあまりにも大きい、ということ。
そして、
大人になった今でも、
まだ親が作ったあなたとして生きていないか?
ということ。
つまり、
今のあなたは、まだ自立できていない
と言いたいのだ。
愛された人間は、
親の愛情によって守られ用意された社会でしか生きれていないのかもしれない、
愛されなかった人間は、
親の愛情の代わりを探す不安の中でしか生きれていないのかもしれない。
本当の意味で自立するんだ。
それは、自分で立ち上がる、という意味。
座っているだけでどこかに行ける電車は楽だが、
用意された駅にしかたどり着かない。
それを自立と呼ぶには無理がある。
立ちあがるんだ
与えられた人生、
与えられなかったものを追う人生は
もうそろそろ終わりにしよう。
君は君の足で生きていくんだ。
その足を使え。
その目で世界を見ろ。
その頭で考え、
その肌で感じろ。
時には傷つくこともあるだろう。
血だらけになることもあるだろう。
だがその肌にできた傷は、
まぎれもなく君が生きた証拠だ。
その赤い血は生きてるからこそ流れるものだ。
今の自分を越えていけ。
自己超越を。