2018.11.29 ブログ

学生たちへ。生徒たちへ。

もうみんな忘れてきてるけど、

今年の5月に日大アメフト部の選手が、対戦相手選手に悪質なタックルで怪我をさせたニュースがあった。
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その後、怪我をさせた選手は会見を開き、コーチ陣からの指示があり、怪我をさせる意図を持ってタックルをしたと述べた
俺はスマホでその会見をリアルタイムで見ていたが、見ながらガッツリ号泣したことを憶えている。
選手とはいえまだ学生である青年が、
指示されたからといってやっていいのか?という問題はあるものの、
たった一人で、コーチ陣、学校サイドからも守ってもらえず、
まるで大物芸能人が犯罪を犯したかのように数えきれないフラッシュを浴びせられる。。。
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そんな異様な光景を見た俺は
コーチ陣と学校に対する怒りと悔しさ
当選手が可哀想で仕方ない辛さと痛みで
涙を堪えきれなかった。
もし指示の内容の受け取り方に乖離、間違いがあり、
コーチ陣の指示に本当に怪我をさせる意図がなかったとしても、
責任を選手だけに押し付け、何のコメントもせず黙り続け、ただただ責任逃れに必死になるクソ大人共の気持ち悪い腐った顔面を見る度、吐き気がするほどの怒りを何度も覚えた。
生徒と講師、指導者と教え子、学校と先生、という同じ環境にいる身として、ただただ許せなかった。
そしてたった一人で、ただの学生がたくさんの記者とカメラの前で堂々と質問に答える様子、
そして『誰かが悪いのではなく、自分に責任がある』と話す様子に何とも言えない気持ちになった。
この子はこれから大人をどんな目で見るのだろうか。
人を信じれるのかどうか。
社会には《マナー》《礼儀》というものがある。
時にはそれを《常識》《当たり前》と呼ぶこともある。
先生に対する態度や、生徒と指導者との間にも、この《礼儀》《当たり前》というものが少なからず存在していると思う。
だが俺が思うのは、その《常識》達の存在価値はとても曖昧なもので、何故必要なのか、何故当たり前なのか、
果たして誰かが教えてくれただろうか。
『挨拶をしなさい。』
『先生の言うことを聞きなさい。』
その言葉は小さい頃から大人達に何度も叩き込まれてきたが、
『何故挨拶をする必要があるのか』
『何故先生の言うことを聞く必要があるのか』を
こっちが納得いくまで説明してくれる人はいただろうか。
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あなたは説明できるだろうか?
『先生』『指導者』には2つの種類があると思う。
『服従型』『信頼型』だ。
日大アメフト部のやり方は、間違いなく『服従型』だった。
『逆らえなかった』
『逆らえば試合に出れない』
『監督が絶対だった』
『監督にはコーチ達も何も言えない』
自分の言う事に有無を言わせず、
ただただ自分の言うことに服従させる環境を作った。
まるで洗脳のように、高い位置から生徒たちを見下ろし、気にくわない者は排除していった。
それはまるで鳥カゴに閉じこめられた鳥達のように。
鳥達が、自分達の意思でどこかに飛び立ってしまわないように鳥カゴに詰め込み、ルールを作り、服従させることで全ての鳥をコントロールしようとした。
正直、この鳥カゴシステムの『服従型』は日本の様々な環境の中に無数に存在している。
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ルール、マナー、常識、そんな言葉で一人一人の個性や判断を奪う、右向け右の社会。
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そして個性や判断を奪われた鳥達はいつの間にか
『それが当たり前』と思い込み、
決められた時間、
決められた方針、
与えられた役割、
鳥カゴの鍵を持つ者から指示されるのをただただ待ち、
そこの人間やルールに従うことで自分の価値を見出している。
『自分は認められた』と。
それに対し、
『信頼型』とはどんなものか。
『信頼型』は、鳥カゴを持たない
鳥達は自分の判断であちこち飛び回っている。
エサを探す鳥もいれば、自分が落ち着く木の枝を探すものもいる。
だが、『集まろう』と口笛を吹くと皆が集まってくる。
そこには『信頼』がある。
飛び方を教え、
自分の羽に問題があるときは助けてくれる。
自分が遠くまで行きたい!と感じたときは信頼してどこまでも行かせてくれる。
その信頼関係があるからこそ、
『集まろう』と声をかければ皆が集まって一つになる。
『服従型』の鳥カゴの中で指示に従い育った鳥達と、
『信頼型』の広い空で自分の判断で飛び続けた鳥達、
どちらが鳥として幸せだろうか。
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あなたは、どちらの鳥だろうか。
今まで、何かに従い、ルールや常識に沿って、
『偉いね』と誰かに認められることを良しとしてきたか、
それとも、一個人としての判断を信頼してもらい、
他人とどれだけ違おうと、自分の判断で自分の好きなように歩く方法を教わり今まで歩いてきたか。
一つハッキリ言えることは、
鳥かごに入れた鳥達の面倒を見ることなど、
誰だってできる。
周りと違うことをする鳥がいれば
『そうじゃなくて、こうするのが常識だぞ』
自分の言うことを聞かない鳥がいれば
『鍵を持ってるのは私だぞ。失礼だと思わないか?』
こんなのは先生でも講師でも指導者でも何でもない。
ただの飼い主だ。
生徒はペットじゃない。
自分と同じ人間だ!
言うことを聞くことが偉くなんかない。
自分の意思があり、想いがあり、夢があり、個性がある。
それが先生と生徒、講師と教え子という関係だったとしても、自分の言うことを聞くペットじゃない!
同じ人間だ!!
上も下もない。
年齢がなんだ!!
立場が何だ!!!
ただそこに居た時間が違うだけの、
同じ人間だ!!!!!!!!
もし。自分の話をちゃんと聞かせたいなら。
生徒達が
『もっと聞きたい!』
『聞くとためになる!』
そんな話をしてみろ!!!!
挨拶をさせたい、
自分に礼儀正しくさせたい、
そう思うなら!
挨拶したいと思われるような、
尊敬される大人になれ!!!!!!
礼儀正しくせずにはいられない、
尊敬される大人になれ!!!!!!
何が常識だ。何がマナーだ、礼儀だ。
人と人を繋ぐものはそんなものか??
違う。
絶対に違う。
信頼、愛情、尊敬。
人と人とを繋ぐものは、人と人との間にある。
だから《人間》だ。
みんな同じ人間で、
人と人との間にある信頼や愛情や尊敬で繋がってる。
《立場》《社会》の中じゃない。
俺は講師という仕事上、一週間に200人を越える生徒達と会う。
すると中には
『お前の言うことなんて聞いてたまるか』
みたいな態度を取る生徒もいる。
ただ俺にはわかる。
そんな生徒達が反抗しているものは、
俺に対してじゃない。
『服従』を良しとする社会だ。
自由に飛び回りたい、
自分の飛び方を決められたくない、
鳥カゴなんかに閉じ込めるな!
そんな意思表示だ。
その根本にある想いは何か。
『自分を一人の人間として認めてもらいたい』
そんな想いだ。
ペットじゃない。
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若いから何だ。
学生だから何だ!
下手だから何だ!!
それでも一人の人間だ!!!
自分には自分の生き方がある!!!!
どんな自分であろうと、強い想いがある!!!!!
そうだろうよ。
何が講師だ。
何がインストラクターだ。
実力が何だ、経験が何だ。
オレも一人の人間で、
みんなも一人の人間だ。
そこに上も下もない。
オレはみんなに首輪なんか絶対につけない。
もし付けられていると感じるなら、
オレが目の前で引きちぎって地面に叩きつけて
粉々のグッチャグチャになるまで踏んづけてやる。
実際に俺はそうやってる。
すると何が生まれるか。
信頼関係だ。
言葉遣いが何だ、態度が何だ、礼儀が何だ。
そんなもの無くたって、
人と人とは繋がれる。
鳥カゴなんて最初から用意してない。
自由に飛び回れ。
お前の目の前に広がる空は、
お前のためにある。
そうだろ?
飛び方がわからないなら、
俺が見せてやる。
ほら、羽を広げて。
ここがお前の空だ!
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